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★日本の中のCIAエージェント【軍人】

日本の中のCIAエージェント

2112-10-02 11:20:43 資料

【軍人】

★東久邇稔彦 
(1887年12月3日 - 1990年1月20日)
旧皇族、陸軍軍人、陸軍大将。位階は従二位。
勲等は大勲位。
功級は功一級。
皇籍離脱後は東久邇 稔彦(ひがしくに なるひこ)を
名乗った。

第二次世界大戦後、敗戦処理内閣として
憲政史上最初で最後の皇族内閣を組閣した。
連合国に対する降伏文書の調印、
陸海軍の解体、復員の処理を行い、
一億総懺悔を唱え国内の混乱を収めようとしたが、
歴代内閣在任最短期間の54日で総辞職した。

★辻政信 
(1902年10月11日 - 1961年に行方不明)
元陸軍大佐。政治家。衆議院議員(4期)、
参議院議員(1期)。
旧軍人グループとの繋がりで反共陣営に参画。
著書を次々出版しベストセラー作家としての
知名度を確立した。
旧軍の参謀だったという要素がプラスに働き、
追放解除後の1952年に
旧石川1区から衆議院議員に初当選。
自由党を経て自由民主党・鳩山一郎派、
石橋派に所属。
石橋内閣時代に外遊をし、
エジプトのガマール・アブドゥン=ナーセル、
ユーゴスラビアのヨシップ・ブロズ・チトー、
中国の周恩来、
インドのジャワハルラール・ネルーと会談している。
衆議院議員4期目の途中だった
1959年に岸信介攻撃で自民党を除名されて
衆議院を辞職し、
参議院議員(全国区)に鞍替えして第3位で当選した。

2005年(平成17年)に公開された、
米中央情報局(CIA)極秘文書には
『辻政信ファイル』が存在する。
しかし、経験不足で諜報活動は失敗に終わった」と
しているほか、
日本の再軍備をもくろんでいたとして
アメリカ側が警戒していたことが記されている。

★有末精三 
(1895年5月22日 - 1992年2月14日)
元陸軍中将 駐留米軍顧問 日本郷友連盟会長
CIAの記録によると有末とその部下は
在日中国共産党員に情報を売っていたとされている。
戦時中から、アメリカと中国共産党の二重スパイか。

★服部卓四郎 
(1901年1月2日 - 1960年4月30日)
戦時中からアメリカのスパイであることが疑われる。
元陸軍大佐。
1942年(昭和17年)8月に始まったガダルカナル島の
戦いにおいては、現地を視察した際、
「補給路が確立されつつあり、この点について問題なし」と
実情とかけ離れた報告をした。
結果、陸軍は3万人以上の部隊を投入したが、
撤退できたのは僅かに1万人足らずだった。

終戦後は、
チャールズ・ウィロビーの元で日本の再軍備にかかわる。
当初は、創設される警察予備隊の幕僚長に
任じられる予定であったが、公職追放された人物を
入隊させることはできないと民政局及び
吉田茂首相(吉田に進言したのは辰巳栄一元中将を
中心としたグループ)が反対したため、
服部の幕僚長就任は実現しなかった。

1952年(昭和27年)10月31日付のCIA文書によると、
服部らは、自由党の吉田茂首相が公職から
追放された者や国粋主義者らに敵対的な姿勢を
取っているとして、 同首相を暗殺し、
民主党の鳩山一郎を首相に据える計画を立てた。
辻政信が「今はクーデターを起こす時ではない」と
服部らを説得し、服部らはクーデターは
思いとどまったものの、
政府高官の暗殺を検討したという。

★今村均
元陸軍大将。
戦場で将兵の守るべき教訓を列挙した訓示、
いわゆる「戦陣訓」を作成 した。
「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すことなかれ」。
インドネシアでは、民族独立を目指すスカルノとの
友情を貫き、ラバウルでは陸軍7万人の兵を統率して、
米軍の攻撃をものともせずに、
玉砕も飢えもさせずに敗戦まで持ちこたえ、
無事に帰国させた。
オーストラリア軍の禁錮10年の判決により、
1949年(昭和24年)に巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)に
送られた。
だが今村は
「(未だに環境の悪い南方で服役をしている
元部下たちの事を考えると)自分だけ
東京にいることはできない」として、
1950年(昭和25年)には自ら多数の日本軍将兵が
収容されているマヌス島刑務所への入所を希望した。
積極的にスパイ活動に関与したとは思えない。

戦犯として捕まった部下を救うために、
自ら最高責任者として収容所に乗り込み、
一人でも多くの部下を救うべく奮闘した。
帰国後は、部下や、遺族の生活のために奔走した。
その姿はマッカーサーをも感動させたのである。
政治家や官僚、企業経営者の責任が問われる今、
責任をとるとはどういうことか、
今村将軍の生涯を振り返えれば答えが出るであろう。

★小野寺信 
(1897年9月19日 - 1987年8月17日)

元陸軍少将。
スウェーデン公使館付武官に発令され、
翌年1月、ストックホルムに着任し太平洋戦争を迎えた。
1943年(昭和18年)8月、陸軍少将に進む。
この頃からSD国外諜報局長である
ヴァルター・シェレンベルクと共に和平工作に従事する。
敗戦後の1946年(昭和21年)3月に日本に帰国復員したが、
同年7月まで4ヶ月間戦争犯罪人として巣鴨プリズンに拘留された。


★下村定 
(1887年9月23日 - 1968年3月25日)
元陸軍大将。政治家。
終戦時下村は満州におり、
下村の帰国まで東久邇陸軍大将宮が陸軍大臣を兼務している。
第5回参議院議員通常選挙で全国区から出馬、
当選し参議院議員を1期務めた。

★和知鷹二 
(1893年2月1日 - 1978年10月30日)
元陸軍中将。1946年(昭和21年)1月、戦犯容疑(橘丸事件)で
逮捕され巣鴨拘置所に拘留。
1948年(昭和23年)4月13日、重労働6年の判決を受け、
1950年(昭和25年)8月に仮釈放された。

★和智恒蔵 
(旧姓・大野、1900年7月24日 - 1990年2月2日)
元海軍大佐で、硫黄島では海軍警備隊司令を務めた。
1946年4月25日から9月まで巣鴨プリズンに拘禁された。
戦争から生還したことに責任を感じて出家し、
天台宗の僧侶になる。硫黄島協会を設立して、
慰霊と遺骨収集に生涯を捧げた。
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